2.身内の不幸が続く

 

               

 私は、体力回復中に身内の方々を亡くす不幸に見舞われた。順番に記述する。                    

      

   
 第1は、2月末に私の叔母(95才)が他界した。九州で行われる葬式に参列したいのだが、  
何せ自宅で静養中でまともに体は動かない。九州まで帰省できる自信はない。まずは自分の  
生命維持及び、体力回復が最優先である。そこで供花で対処した。父親の50年忌の5月に  

叔母宅の仏壇でお線香をあげようと心に決めた。

 

         
 第2は、3月中旬に義姉(75才)が他界した。3月当初、義兄が家内へ、義姉は多臓器  
不全になっていると連絡してきた。私は家内へすぐに帰省して、義姉をお見舞いするように  
頼んだ。家内は数日実家で過ごし、義姉の容態を見守った。義姉の容態が安定しているよう  
なので帰ってきた。その数日後に、義姉が亡くなったと連絡があった。家内は再び実家へ  
向かった。まさにトンボ返りである。私は九州で行われる葬式に参列したいのだが、長時間  
の移動に耐えうる体力がなかった。これもまた葬式に参列できなかった。父親の50年忌の  

5月頃に、仏壇でお線香をあげようと心に決めた。

 

         
 心待ちにしていた5月下旬、新幹線で九州へ帰省した。その日、叔母(95才)の家を    
訪ねて、お線香をあげてきた。叔母の子息(72才)と、しばし思い出話をしてきた。仏様が  
取り持つ縁で、親類の絆を確認しているのである。次に義姉にお線香をあげた。その日は、  
家内の実家に宿泊した。その翌日は義姉の初盆のために、仏具店で供養提灯を購入した。  
初盆の提灯を購入した後、私は、父親を供養しているお寺を訪ねた。そのお寺は耐震工事を  
しており、どれ位改築できたのか見学したかったのである。この見学のエピソードは次章に  

譲ることにする。その翌日は、父親の50年忌の法要を行って、その翌日、自宅へ帰った。

 

 
 第3は、6月中旬に訪れた。従兄(94才)が他界した。葬式には参列しなかった。初盆で  

帰省の際、仏壇でお線香をあげようと心に決めた。義姉の初盆に帰省して、お参りした。

 

 
 極めつけは第4である。亡くなられたのは、私の介護職場の苑長(73才)である。私が  
退院して1ケ月程した頃である。私は職場復帰について上司と相談するため施設を訪ねた。  
その際バッタリ苑長に会った。すると苑長から、今度は自分が癌になってしまったと告げら  
れた。しかも他臓器へ転移しているとのことである。顔や体形から10kg程やせられて  
いると推測できた。私は十分に治療して下さいと言った。その後の治療は、手術をされた  
とは聞いてこず、延命治療の様だと風評を耳にした。残念ながら、8月末には他界された。  

私は何とか告別式に参列した。良き話し相手を失って、非常に悲しい限りである。

             

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